〜 common sense 〜
"常識 " という言葉に どれほどの意味があるのだろうか...
かつて そう思った時期があった
" ソノ地方ノ常識 ソノ街ノ常識 "
" ソノ地区ノ常識 ソノ組織ノ常識 "
同じ"クニ" でも 習慣などによって異なる常識
この"くに" の 本当の常識とは何だろう
では "コノ世界 " だとしたら?
" 日本ノ 常識 アメリカノ 常識 "
" イギリスノ 常識 ロシアノ 常識 "
" サウジノ 常識 中国ノ 常識 ?"
" ラテンノ 常識 アラブノ 常識 "
" アジアノ 常識 ?"
まだまだ少しの文化にしか 触れてないけど
その価値観の数だけ 常識が存在しているように思える
〜 では 常識ってなんだろう 〜
そのことを考え 旅を続けたある時
ふと 心に浮かんだ
" 異なる文化に触れたとき "
" 異なる習慣に触れたとき "
" 異なる価値観に触れた時 "
〜 ただ 異文化としてのカルチャーショックを受けるのではなく 〜
" その文化の"背景 " を考えた時 "
" その元になるモノを"リスペクト " 出来たとき "
〜 何かが見えてきた 〜
それは どんな文化でも
どんな 価値観の下でも
根本にある 不変のモノ
生きている環境が異なるから
その根本は異なる習慣を生み 異なる知恵を生み
そして 異なる文化へと変化して行く
しかし その"不変のモノ " はどんな文化においても
どんな常識においても 変わることのない 大切なモノ
旅を続け 異文化を彷徨うと
その部分が見えそうになる瞬間がある
でも まだ見ることが出来ない
言葉に表すことも出来ない
きっとそれが 本当の " common sense " なのだろう
その存在を 感じるたびに
ココロは異文化 / 異世界 へと向かい続けてゆく
まるで 人々に宿る神の姿を 探し求めるように